我が家の玄関から登山靴を履いて歩き始められる山、今日は真っ青な空だから行ってこようかと出かけられる山、地附山はそんな山の一つだ。春夏秋冬、それぞれに楽しみがある。何も持たずに散歩している人がいるし、ランニングウェアで駆け抜けていく人もいる。私たちのように何かを見つける度にカメラを向けて、やれピントが合わないだの、やれ光のコントラストが強すぎるだの言っている人・・・にはあまり会わないけれど、それでも大きなカメラを持っている人に出会うこともある。
11月半ばになると地附山は、赤に黄色にオレンジに・・・賑やかになってくる。中腹の落葉樹が赤く染まるのは見事で、それほど紅葉に浮かれない私たちも毎年楽しみにしている。
ちょうど友人が所用で我が家に逗留、2泊した後の日曜日、午前だけ時間が空いたので一緒に地附山に登ってみることにした。
足の状態が万全ではないという、キミちゃんも歩きやすいように車で地附山公園まで。そこからゆっくりトレッキングコースを登ることにした。
車を停めてゆっくり公園を歩き始めると早速、やんちゃなタノちゃんが「あ、すべり台がある!」と喜ぶ。「遊ぶのはあと、まずは山へ行こう」と引っ張っていく。
ところが、公園の上の広場に出ると「アスレチックだ〜」と走って行ってしまった。あぶないバランスで網の上に立つタノちゃんに、拍手喝采をするのは私と夫。相棒のキミちゃんはハラハラしながら「危ないよ〜」と叫んでいる。のっけからドキドキだが、山道に入ってしまえば森の精と化す、というのは大袈裟だけれど、楽しい山男になる。
山道は静かで気持ち良い。朝まで降った雨が大気を洗ったのか、澄んでいる。あいにく雲がかぶさっているので、遠くは隠れているが、木の葉の色が鮮やかだ。わずか前までは青い夏色だったのに、いつの間にか季節はうつろっている。さまざまに咲いていた秋の花も今は茶枯れて実になっている。地附山はかえでの木が多いが、かえでは木によって色が違うのが面白い。きれいな緑の木もあり、黄色から赤の間の様々なグラデーションが楽しめる。濃い赤は紫のように見えることもある。
途中のポイントから善光寺平を一望すると、台風の被害の跡が胸を突く。以前は豊かな平の象徴のように緑を従えて流れていた千曲川の周囲は茶色になってしまった。
被害にあって傷ついたリンゴがあったら買おうとキミちゃんが呟く。歳を重ねて、体力で手伝いができないけれど、何かできることがあれば役に立ちたいと思うのだ。
さて山頂を目指していくと、キミちゃんが「あ、朴の木」と、道の脇に寄る。まだ私たちの身長より低いホオノキだけど、大きな葉をつけている。私と夫は地附山に登るたびに楽しみに見ていた。キミちゃんはもう落ちる寸前だった枯れ葉を1枚もらい、大切に持って山頂に立った。
晴れていれば見える山頂からの展望は、残念ながら白一色の雲の向こう。飯縄山も黒姫山も、妙高山も「あそこに見えるのよ」と白い空を指差して教えるだけ。初めて来たキミちゃんとタノちゃんは『ヤッホーポイント』の看板を見つけ、「ヤッホー」と叫んでみるが、返ってこない。
「ヤッホーの神様は眠っているのか・・・」などと夢見る乙女のふりをしても、「ダメダメ、ここは空間が開きすぎている」と、現実的なタノちゃんの一言で大笑い。
降り始めると賑やかな子どもの声が近づき、元気に「こんにちは〜」と言ってすれ違っていく。キミちゃんが持っているホオの葉に気づくと、皆一様に目が輝くのが好ましい。子どもたちはキミちゃんの手にある葉を見つけては「あ、大きな葉っぱ」と、叫んでいた。どのグループの子も『大きな葉っぱ』というのが合言葉のように、パッと顔が輝くのが素敵だった。
「それどうするのと、聞いてくれれば答えてあげるんだけどなぁ」「家に帰って、この葉に食べ物を包んで焼くんだよ〜って」と、キミちゃんは笑っていた。
公園に着くと、タノちゃんは「すべり台、すべり台」と走っていく。「童心に返ったみたいだね」と呟く私たちに、「返るんじゃなくて、常に童心なのよ」とキミちゃんが言って大笑い。
タノちゃんが滑り降りるのを下から見上げていた小さな子どもたちが、「面白いよ」と言うタノちゃんの言葉に誘われて我先にとすべり台に向かう。お山の大将ならぬ、幼児たちの大将みたい。
しかし、こんなに沢山の子どもたちに会ったのは、何十回も登っている地附山でも初めてのことだ。秋日和というのか、朝は我が家の車だけだった公園駐車場は満車に近くなっていた。