久しぶりに南側から髻山に向かった。緩やかに畑が続く斜面を少し登ると駐車スペースがある。靴を履き替えてりんご畑の中を歩き始める。空は灰色で、4月の半ばとは思えない寒さだ。だが、ありがたいことに足を動かし、登るにつれ体が暖かくなってくる。
髻山の森はたくさんの木が伐採され燻蒸用のビニールに包まれている。やはり赤松の松枯れ病だろうか。そんな中登るにつれスミレがたくさん花開いている。春蘭も花を伸ばしているのはもう終わりになるからか。以前来た時にたくさん咲いていたはずと目を凝らすが、センボンヤリの花は一輪しか見つけられなかった。ミヤマウグイスカグラが咲き出している。ダンコウバイはそろそろ終わりか、足元に黄色い花がたくさん落ちている。だんだん花の数が増えてきたのはオクチョウジザクラ、枝の先から咲き出している。花が咲いてみるとわかる斜面にチラホラ、まだ小さな木も花をつけているのが愛らしい。
山道は踏まれて大きく窪んでいるところが多く、昨日の雨もあってかぬかるんでいるところも多い。しばらく登ると伐採した木を利用したのか、丸太をたくさん敷いた道が現れた。丸太には滑り止めの刻みが入れてあり、大変な作業だったのではないかと思う。ありがたく歩いていく。
ところどころ杉の暗い森を通り、また伐採されたアカマツの森を歩いていくと周囲に竹が見えてくる。この辺りまで、昔の人は開墾していた様子のうち捨てられた小屋の跡も見える。水田も耕作していたのか、水の流れが残り、今はクレソンがびっしり芽を出している。中に黄色く光っているのはネコノメソウだ。うち捨てられた耕地跡にはフキの葉が丸い顔を密集させ、伸びたフキの花芽が風に揺れている。
謙信ゆかりの観音清水を過ぎると、急な斜面になり、鬱蒼と茂る杉林の中を登る。観音清水の近くは開けた明るい草原で、なぜか一本だけオオウバユリの実が立っている。冬の雪にも風にも倒れずまっすぐ立っている姿は潔い。近寄ってみると殻の中にはまだ種がたくさん残っていた。
三登山方面への道を分け、杉林をしばらく登ると目の前が急に開ける。足元にピンク色が散らばっている。カタクリ。もう遅いかなと話しながら来たが、斜面の奥にはたくさん咲いているのが見える。すでに勢いがなくなって枯れる寸前の花もたくさんあったが、蕾もまだたくさん広がっている。歩いている崖下を見ると急な斜面の下の方まで群落は続いている。
もう季節が遅いのではないかと、半ば諦めの気持ちも抱えながらやってきたので、このカタクリの見事な群落に私たちは大喜び。日も差してきたので、花は見事に開いている。遠い斜面の群落は道から眺めるだけだが、カタクリの花は大きいので見応えがある。
私たちはしゃがんで花を撮影したり、立ち上がって遠くまで続く花の広がりを眺めたりしながらのんびりと過ごす。カタクリの葉は手のひらくらいの大きな広いのが2枚、そしてその間から一本の茎が伸びて先端に俯き加減の花を一個咲かせる。周囲には葉だけの株もたくさんあるが、カタクリは芽吹いてから花をつけるまで7〜8年かかるそうだ。そして線のような葉がだんだん大きくなって、2枚になるとようやく花を咲かせる。
花が大きく、赤紫の色も目立ち、里山にも群落を作って咲くので、スプリングエフェメラルとしては見やすく人気の花だ。
カタクリの花を眺めながら山頂まで登る。フデリンドウの蕾がいくつも頭を持ちあげているが、花はまだまだ。山頂に登ると北斜面にもカタクリの蕾が多い。周辺はアブラチャンの霞のようなクリーム色が広がっている。そろそろ花は終わりか。志賀方面の山が春霞の中に浮かんでいる。
広い山頂にもカタクリは咲いている。スミレの花も多い、タチツボスミレか。カタクリの花は十分見頃だと思うけれど、山頂には私たち以外誰もいない。二人じめの山を満喫して、再び来た道をゆっくり降る。
湿った道には苔の花がたくさん光を反射している。頭上の鳥の囀りも賑やかだ。今日の山の豊かな姿を楽しむのは私たちだけ、誰にも会わない。ぬかるんだ道は滑りやすいので、気をつけて降りよう。りんご畑が見えてくると、周辺にはオオイヌノフグリの青、ハコベやタネツケバナの白、ヒメオドリコソウの薄赤紫と花の絨毯が広がっている。黄緑はトウダイグサの芽吹きだ。そんな中にツンツンと立っている、ツクシ。
「今日の夕飯はツクシだ」と、ご機嫌な私を横目で見ながら収穫したツクシを入れる袋を出す夫。笑いながら十分摘んで車に乗る。帰り道、『昭和の森公園』の満開の桜を見ながら家に向かった。