毎年春一番に咲くセツブンソウを見に戸倉の自生地を訪ねるのは3月の前半。自生地への入り口戸倉宿キティパークは桜の名所だが、いつも膨らんできた蕾を見るばかりだった。「咲いたところも見たいね」と話しながら、桜の季節は何かと忙しく延び延びになっていた。
きれいな青空が広がった今日、チャンスとばかり長野駅に向かった。しなの鉄道軽井沢行きに乗る。30分弱、車窓の風景を眺めながら電車に揺られていく。この季節は芽吹いた森の淡い赤、桃畑のピンク、そして桜の白が美しい。桜は思わぬところに広がっていて、この季節ならではの楽しみだ。
戸倉駅から山道を登る。歩いていると何台もの車に追い越される。この道で車に会うことは少ないから、これは桜効果というものか。何度かカーブを曲がると目の前に白い世界が広がった。ところどころピンクが混ざっている。どこまでも続く桜の世界だ。
私たちはゆっくり斜面を登っていく。芝と若草が混じった緑の広がりの中に幾筋かの散策路があるが、桜を楽しむ人は緑の広がりを自由に歩いている。ところどころにシートを敷いてピクニックを楽しむ姿も見える。 私たちはまずは天狗さんに会いに行こうと、ゆっくり登っていく。キティパークの名物大天狗は青い空にキリッと浮かぶように立っていた。周囲は桜の海だ。見事な満開の桜。振り返るとすぐそこに冠着山が青く見えている。
桜、さくら、サクラ、広く続くその世界の中をゆっくり登る。ここの桜は下の方の枝も見事に広がって、花に手が届くのが嬉しい。一番高いところにある見晴台まで登り、全体を見下ろす。千曲川がうねりながら流れている。川沿いに広がっているのは戸倉の温泉街だろうか。時々しなの鉄道の音が聞こえる。しばらく花の海と、青い山、うねる川を見下ろしてからゆっくり下る。
街の中の桜名所によく見られる提灯や幟がなくて清々しい。一ヶ所におでん屋さんがあるが、仰々しい宣伝がなくて好もしい。
私たちもピクニックをしようと言いながら桜の真ん中あたりまで降りた。小さな敷物を持ってきたが、公園内には目立たない色のベンチがあちこちに設置してあるので利用する。ピクニックと言っても持参したパンや煎餅を食べるだけだが、広々とした桜の真ん中で食べると一味違う気がする。
さて、この後は・・・、まだ帰るには早い。春先に見たセツブンソウ自生地にはこの季節どんな花が咲いているだろう。行ってみようと、入り口に向かったら柵がしてあるではないか。「今は行けないのか」と言いながら近づくと、猪よけの柵なので入ったらまたきちんと閉めてくださいと書いてある。安心して柵を越えて歩き出す。クサノオウの蕾が膨らんでいる。しばらくいくと小さな沢にネコノメソウが咲き出している。大喜びでカーブを曲がると目の前に真っ白なヴェール、濃厚な桜の世界がここにもある。自在山神社の鎮守の森なのだ。そして、足元に散らばるブルーの宝石はヤマエンゴサク。森の中に続く草原に点々と散らばっている。
ゆっくり歩いていくと、風が出てきたのか森の中で木が擦れ合う音が響く。山全体が大きな生き物のようで恐ろしい。時々目の前に小さな枝がばさりと落ちる。「怖いね、大きな枝が落ちてくるかもしれない」と話しながらセツブンソウ自生地に登り着く。
そこにはピンク色の点描が広がっていた。節分草の濃い緑の葉の世界にカタクリが咲いている。薄青色のヤマエンゴサクも広がっている。カタクリは少し遅めで花が開き切ったのも多かったが、斜面の上の方はまだ最盛期だ、美しい赤紫に光っている。
セツブンソウは小さな実が膨らみ始めていて「来年もまたね」と言っているようだ。私たちは群生している斜面をゆっくり一回りして道に戻った。小さなニリンソウも数輪咲いていたが、以前見たアズマイチゲの花は見えなかった。もう終わったのかと、実を探したけれど、残念ながら見つけることができなかった。
帰りは自在山神社の鳥居をくぐらず回り道をしていく。湿った道の脇にはネコノメソウが広がっていてその黄緑色の絨毯を踏まないように歩く。道の淵を飾るようにコクサギの木が続き雄花、雌花が開いている。垣根のように続くコクサギの小さな花を見ながら歩き、再び柵を越えてキティパークに戻る。
賑やかに桜をつつくヒヨドリたちの声を聞きながらゆっくり戸倉駅に戻った。