頂上が近くなると、人声が降ってきた。賑やかな話し声の重奏だ。やっぱりね、今日はこどもの日、どうやら団体登山が計画されていたらしい。登り始めた時に珍しく話し声がたくさん聞こえるなぁと思ったのだが、メインのルートを外れて歩き出した私たちは団体登山の人たちには会わずに山頂までやってきた。
山頂には人が溢れていた。飯縄山の写真を撮ろうと思っても人を分けて行くようだったから、当然山頂表示の前には撮影希望の人だかり。大きなグループの撮影が終わった隙にさっと一枚撮って、逃げ出した。降り始めたグループが進む方向を避けて、駒弓神社への道を降ろう。「逃げるが勝ち」、こんなに賑やかではクマさんもどこかへ逃げているだろう。
地附山公園南斜面に隣接する畑でクマが目撃され、一時入山を見合わせるようにとのニュースが流れた。だからというだけではないが、他の山へ気になる花を見に出かけたこととも重なって、しばらく地附山に登っていなかった。
ヤマさんやスーさんは毎日登っているのかなぁなどと山で会う顔を思い出しながら久しぶりに地附山に向かった。何よりシデザクラがもう散ってしまったのではないかということが気にかかる。
3日に登って、梢に咲き残るシデザクラを見つけた時、思わず「ありがとう」と呟いた。イケさんと初めて会った時に教えてもらった思い出の花だ。まだイケさんの名前も知らなかったが、一人で伐採した木を片付けていた。私は一人で大峰山から地附山まで歩き、降りるところだった。ちょっと休憩したかったらしいイケさんが腰を伸ばしながら話しかけてきて、妙に息が合って話が弾んだ。
あっという間に逝ってしまったイケさんの笑顔が浮かんでくる。地附山はどこを歩いていてもイケさんの思い出が詰まっているけれど、シデザクラには濃密だ。
さてたった二日の間にシデザクラの木の下にマルバアオダモが花を開いて光っている。下から見上げるとマルバアオダモのキラキラする白い花に隠れてシデザクラの花はほとんど見えない。すでに散ってしまったのかもしれない。幸い、もう少し上のまだ小さい木の花がかろうじて残ってくれていたので、今日も見ることができた。
まだ朝晩寒い日が続いているけれど、日中は暑くなるこの頃、山には一気に春の花が咲き出している。半月くらいご無沙汰しているうちにヤマブキはしぼみ始め、ヤエヤマブキが斜面を彩っている。イカリソウもそろそろ終わりか、色がかすんできた。キイチゴの花も落ちて、青く小さな実が並んでいる。地附山にはニガイチゴとモミジイチゴがある。山腹にたくさんあって、オレンジ色の甘い実をつけるのはモミジイチゴ、一部のコースに育ち、真っ赤な実をつけるのはニガイチゴ。どちらもよく似た白い花を咲かせているが、モミジイチゴの花は俯いたように下向きにぶら下がっている。
樹木に詳しいイケさんがいろいろ教えてくれたけれど、樹形や幹の姿を見ても分からないものが多い。花が咲くと「ああそうか」と思い出したりする出来の悪い生徒だ。
植物も少しずつ進化して新種が分化していく。中には顕微鏡で見ないと違いがわからないような種の違いもあると聞く。人の目で見分けられる程度の違いなら何度も見ているうちに分かるようになるものもあるが、似た者同士がいっぱいあって面白い。
喧騒を遠くに感じながら駒弓神社へ向かって降りる。こっちの道は人がいない。ゆっくり降りていたら、ヤマさんが登ってきた。やぁ〜久しぶりとしばらく立ち話をして分かれる。いつもの花がいつものところに咲いたねと、毎年繰り返される話が嬉しい。
今年はもうギンランが咲いてきたが、ベニバナイチヤクソウの花穂が見えない。数箇所の自生地を回ってみたが、一度見た蕾も今日は見つけられなかった。毎年変化するのは仕方がないが、一気に大きな株がなくなっているとがっかりする。もしかしたら盗掘かもしれない。
長野では地附山でしかまだ見たことがないニオイタチツボスミレも、今年はとても少ない。環境も変わっているけれど、また来年も咲いてねと話しかけて通り過ぎる。
長野の里山は裾野にリンゴ畑が広がっているところが多い。ほのかに赤を抱く蕾が開くと純白になり、濃い緑の葉とのコンビネーションが素晴らしい。山歩きの楽しみの一つだ。
今日は帰り道にも楽しみがある。登る時に見つけておいたイタドリが美味しそうだった、あれを収穫して帰ろう。皮剥きがちょっと面倒だが、美味しいから頑張れる。一晩水に寝かせて明日はイタドリのご馳走だ。
昨日イケさんとの共通の友人がコシアブラをたくさん持ってきてくれた。イケさんから一緒に山菜採りに行った話をよく聞いた。たくさんのコシアブラは昨日も今日も食卓の彩り。今日はコシアブラの和物だ。春の楽しみが続く。