真夏の鎌倉と聞いただけで孫は「行きたくない」と言う、しかも日曜日、酔狂なことよと笑われる。東京に用があって出かけ、久しぶりに娘の家に泊まった。
翌朝、思いついて5時半に家を出た。娘の家から東海道線、モノレールと、わずかな時間で広町緑地へ行けることに気づいたからだ。もう咲いていないかもしれない、でももしかしたら呑気な子がまだ開いているかもしれない・・・花好きの心を揺らす花を探しに早朝の鎌倉広町緑地に向かった。
日曜の朝早い時間、モノレールはガラガラ。遠く見える富士山は霞んでいる。持ってきた地図と、友人が見つけた花の位置を示してくれた地図を持って歩き出す。まだ6時過ぎというのに、もう日差しが強い。広町緑地には誰もいないかと思ったら、ランニング姿の人がいる。小さな犬を連れた人にも会った。みんな考えることは同じらしい。まだ暑くならないうちに散歩してこようというわけだ。
今日私は、孫や娘が寝ているうちに出てきた。昼前に娘の家に帰って孫とゆっくり過ごす計画だから、ちょっと急ぎ足の山歩きだ。広町緑地の外周コースを一回りしてこよう。
入り口を入ると真夏の森は緑が濃く、思ったより暗い。だが、道の端に見つけたカラスウリの花は萎れてしまっている。長野の裏山では昼近くなってもまだ花の姿は残っているけれど、ここではすでに萎れきって花の姿はわからない。何が違うのだろうと調べたら、昼近くまで咲いているのはキカラスウリらしい。キカラスウリは花の先端が広く二つに割れたようになっている。
開いている花はないかと覗き込んでいたら、後ろからやってきた男性が「何を見ているの」と声をかけてきた。花を探しているんですと答え、しばらく話をした。その男性は80代と言うが、数年前に槍に登ってきたんだよと、近所の公園にでも行ってきたような話しぶり。毎日ここを歩き、それから自転車で遠出して体を鍛えているのだそうだ。目的があって、そこに向かって自己鍛錬している姿はイキイキしている。
目的が遠くなかなか近づけない時に、ぼやいたり周りのせいにしたりするのではなく、できることを積み重ねて、目的に近づいていくのは素晴らしいことだと感じた。
さて、男性を見送り、私は森の中を覗き込みながら登っていく。日曜だからだろう、ランニングの人が多くなってきた。
しばらく森の中を覗き込みながら歩いていたら、先端に黒くなった花の成れの果てをつけたラン科らしい姿を見つけた。森の中に散らばっている。ただ、大きな葉の中から茎を立てている姿は、今日探している花ではない。これはコクランではないかな。歩きながら時々見つけて進む。10株くらいはあっただろうか。
遠く富士を見たり、相模湾を見下ろしたりしながら進むが目的の花は見つけられない。外周コースも半ば回った頃にようやく見つけた。しかし、すでに花は黒く萎れて先端にくっついているのみ。残念、やっぱり遅かったか。
マヤランとサガミラン。一時サガミランはマヤランの白花種と分類されていたこともあったそうだが、現在では違う種とされている。どちらもラン科シュンラン属で葉緑素を持たない完全菌従属栄養植物だ。そっくりなので、花が萎んでしまった状態ではどっちかわからない。黒く縮んだ花の跡がくっついているが、ちょっと色が残っていてくれたらなぁと思う。
半月ほど前に友人がここを歩いて見つけたというマヤランの写真を送ってくれた。サガミランの方はちょっと花期が遅いようだから、これはサガミランかもしれない。マヤランもサガミランも菌から栄養をもらって生きているのだから、その菌が生息できる場所が必要だ。クヌギやコナラなどブナ科の樹木などとは相性がいいようだ。
鎌倉広町緑地は鳥の声も多いが、蝶や蜻蛉もたくさん飛んでいる。海に近い里山だが、緑地の中には田んぼもあり、さまざまな生態の植物が丁寧に残されている感じだ。さっと目の前を飛んでいったアサギマダラかと思った蝶はアカボシゴマダラという侵入生物だって。国蝶のオオムラサキなどと競合するので、特定外来生物に指定されているらしい。
珍しい生き物を見たいという気持ちは私にもたくさんある(特に花)が、自分の思い込みで勝手に自然をいじってはいけないのだと思う。人間の手で持ち込まれた生物が日本の自然を変えていく現象は多くある。
目的の花には会えなかったが、私の肩近くまで伸びたマンリョウにびっくりしたり、ナガバノハエドクソウの群落に会ったり、懐かしいジュズダマの花を見つけたり、急ぎ足にしては楽しい出会いをすることができた。夫へのお土産の粘菌も見つけることができた。
急ぎ足で回ったつもりだけれど9時になりそうだ。モノレールの駅に向かう足取りはまたまた早足、孫たちとの楽しい時間が待っている。