三角形に盛り上がった山の懐の道に入ると、向こうに小さな子供たちがちょこちょこと動いているのが見える。冬の厚着ではあまり自由に動けないのかもしれない。みんなでしゃがんで道の上を見ているようだ。近づいて行くとまだやっと歩いているような小さな子供たちが大人と手を繋いでトコトコ歩いてくる。近くに保育園があるのだろうか。
須坂駅から歩いてきた私たちは子供たちに出会った道から細い登山道に入っていく。子供たちがしゃがんで見ていたのは落ち葉だったろうか、ドングリだったろうか。冬の里山には宝物がたくさん転がっている。
分かれ道には道標が立っているが、隣には面白い岩の説明版も立っている。「ひん岩の玉ねぎ状風化」と書いてある。2万年も前に火山灰などが海の底に溜まって泥岩ができた。その泥岩にマグマが侵入してできた岩が地上に現れて風化したものらしい。確かに玉ねぎのように円形に何層も重なっているのが面白い形だ。
初めて歩く道はちょっとした緊張感があっていい。この先はどんなふうになっているのだろうというドキドキ感がある。たとえ、それが5百メートルに満たない里山でも。
これから登る鎌田山は、須坂市の東に広がる坂田山共生の森の一番西の端にちょこんと飛び出している山だ。前に坂田山に登った時は南側の斜面の裾を歩いて東の尾根を辿った。鎌田山に登るのは今回初めてだ。
「松の木洩れ日の径」と名付けられた山道を少し歩くと下に田中本家博物館が見下ろせる。須坂市は「蔵の町」として知られている。数年前に孫と一緒に歩いたことがある。須坂市は生糸の町として栄え、大きな商家の蔵も並んでいた、その蔵が今に残っている。
木々の間に見える須坂の街を見ながら、落ち葉が積もった歩きやすい道を登っていくと、ピークに着く。もう山頂かと思ったが、道はまた下って緩やかな鞍部に着く。帰り道で上の山は神田山との看板を見つけてこのピークの名前を知った。鞍部には雪が積もっている。
鞍部を越えてちょっと急な道を登ると鎌田山山頂だ。一気に目の前が開ける。素晴らしい展望だ。朝は青空だったのに、だんだん薄雲が広がって、遠くの山が見えないのが残念だ。足元には須坂の町が広がっている。
風景を眺めていると話し声が近づいてきた。初めて来たと言う夫婦、素晴らしい見晴らしに感嘆の声をあげている。私たちと同じように今度は晴れた日に来たいと話している。
彼らが降りて行った後もしばらく眺めを楽しんでから、私たちも下ることにした。北側の道を歩き始めると雪が残っている。南側ではオケラが道脇に立っていて、もうすっかり葉を落としてしまっていたが、北側のオケラは白っぽく光る葉がまだついていた。魚の骨のようなギザギザした苞葉だけがツンと立っているのもあって面白い。
坂田山へ続く登山道を下っていくと三方向への分かれ道になった。懐を回ってもと来た道へ出るコース、坂田山へ向かう稜線に続くコース、そしてもうひとつ桃山を経由するコースの看板が立っている。
「ちょっと行ってみようか」と夫。わずかに登ると桃山の看板があり、奥に坂田山が見えている。桃山の山頂も誰もいない。下って、今度は坂田山へのコースを歩いてみる。しばらく歩くと、和合峠休憩所の看板が立っていたので、そこで軽いお昼を食べることにした。ちょっと登ると三本の赤い柱のちょっと変わった四阿がある。須坂出身の有名な建築家によるデザインだという。座ってパンを食べていると風が強くなってきた。日が隠れたせいもあり手先が冷たくなったので、早々に歩くことにした。歩いていれば寒くはない。ゆっくり戻って、分かれ道から最初の登山口の方へ歩く。駅方面へ行く近道だ。しばらく降りて行くと柵で囲まれた大きな建造物がある、何だろう。それは焼き物の窯跡だった。吉向(きっこう)焼きという焼き物の登り窯があったそうだ。一部が復元されている。
近くにある池にも看板が立っていて、見ると「どぶ」と書いてある。どぶと聞くとイメージが悪いが、この辺の産業だった瓦を焼くための土を採掘した跡だそうだ。現在は大きな池沼となって水辺の自然を作っているらしい。
自然だけではなく人の暮らしの工夫がたくさん隠れている里山の姿を楽しんで駅に向かった。帰りはちょうどやってきた特急に乗って優雅な鉄旅となった。
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